文学作品と当店
夏目 漱石著
「吾輩は猫である」より ・初出「ホトトギス」連載 明治38年1月 ・全集、文庫他多数収載 「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」と例によって秩序のない駄辯を揮っているうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる。 吾輩は又少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で團子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、又尾行する勇気もないからずっと略してその間休養せんければ成らん。
正岡 子規著
「道潅山」より ・初出 新聞「日本」 明治32年10月2日 ・正岡子規全集第13巻 講談社刊 昭和51年 こゝに石橋ありて芋坂團子の店あり。繁昌いつに變わらず。店の内には十人ばかり腰掛けて喰ひ居り。店の外には女二人彳みて團子の出來るを待つ。根岸に琴の鳴らぬ日はありとも此店に人の待たぬ時はあらじ。戯れに俚歌を作る。 根岸名物芋坂團子賣りきれ申候の笹の雪
「仰臥漫録」より ・全集の他 岩波文庫緑13-5所載 九月四日 朝曇 後晴 昨夜はよく眠る 新聞『日本』『二六』『京華』『大阪毎日』を読む例の如し 『海南新聞』 は前日の分翌日の夕刻に届くを例とす 朝: 雑炊三椀 佃煮 梅干 牛乳一合(ココア入り) 菓子パン二個 昼: 鰹のさしみ 粥三椀 みそ汁 佃煮 梨二つ 葡萄酒一杯(これは食事の例なり 前日日記にぬかす) 間食: 芋坂團子を買来らしむ(これに付悶着あり) あん付三本焼一本を食ふ 麦湯一杯
「寒山落木巻三」「俳句稿巻一」より ・全集の他 岩波文庫緑65「子規句集」所載 岩波文庫緑13-3「子規歌集」所載 芋阪に名物の團子あり 芋阪も團子も月のゆかりかな 根岸名所ノ内 芋阪の團子屋寝たりけふの月 元光院観月会 芋阪の團子の起り尋ねけり 名物や月の根岸の串團子 秋昔三十年の團子店 短歌会第四会 芋阪の團子売る店にぎわひて團子くふ人團子もむ人
泉 鏡花著
「松の葉」より ・初出 「女子文壇」第六年第一号 明治43年1月1日発行 ・泉鏡花全集第27巻 岩波書店刊 昭和51年 「團子が貰いたいね、餡のばかり、」 と、根岸の芋坂の團子屋の屋臺へ立った。・・・・その近所に用達があった歸りがけ、時分時だつたから、笹の雪へ入って、午飯を澄ますと、腹は出來たり、一合の酒が能く利いて、ふらふらする。 -中略- 眞昼間の幕を衝と落とした、舞臺横手のような、つらりと店つきの長い、廣い平屋が名代の團子屋、但し御酒肴とも油障子に記してある。
田山 花袋著
「東京の近郊」より ・実業の日本社刊 大正5年 昔からきこえた團子屋である。其處ももうあるかないかわからない新しい流行の力に蹴落されて、もうとうになくなって了ってるかと思って行って見ると、不思議にもそれが依然として残っていた、私は入って行った。 -中略- 私は醤油團子を食ひながら、昔のことなどを思った。上野の図書館から天王寺の墓越しに午飯代わりに此處によく團子を食ひに来たことなどを思い出していた。根岸に友達がゐて其處に行くと、よくこの團子を出してくれたことなどをも思ひ出した。團子は依然として旨かった。
久保田 万太郎著
「うしろかげ」より ・「日本の文学」28 久保田万太郎 中央公論社刊 昭和54年 青壷のカンはあたりました。・・・・・・とういうのは、それから二三日して、わたくしに、根岸まで行く用があったので、その帰り、そうだ、ここまで来たものだと、芋坂で羽二重だんごを仕入れ、何んの気なしに、田端まで一ト足のばしました。 当店に寄せられた句 芋坂の団子さげたる賀客かな
船橋 聖一著
「墨田川物狂ひ」より ・新潮社刊 昭和26年 また、お稻さんが、わたしびいきであった。そっと、芋坂のお團子や、甘納豆、菊見せんべいなぞ、を持ってきては、わたしに食べろと言った。そして、> 「こゝで。お上がりなさい。奥へ見つかると、大變だから」> と言って、わたしの食べ終わるのを、見届ける様にした。
司馬 遼太郎著
「坂の上の雲」より ・「坂の上の雲」六 文芸春秋刊 昭和47年 子規の家にその母と妹をたずねるつもりだったのだが、朝食をとって来なかったためにこの茶店に立ち寄ったのである。真之は粗末な和服に小倉の袴をはき、鳥打帽をかぶっている。一見、神田あたりの夜間塾の教師のようであった。 -中略- この茶店は「藤の木茶屋」とよばれて江戸のころからの老舗なのである。団子を売る茶店で、その団子のきめのこまかさから羽二重団子とよばれて往還を通るひとびとから親しまれている。