6代目庄五郎トーク

第16回だんご寄席 報道に見る昭和二十年の回顧(第三部)

平成16年2月18日(水曜日)

前回「第15回だんご寄席」では昭和20年の8月までを第二部として申し上げましたので、本日は第三部として20年9月よりでありますが、当時の国内情勢をもう一度重ねて申し上げまして引続き同じ雰囲気で戦後処理時代をお話いたしたく存じます。

先ず
1.  ラヂオの天気予報が3年8ヶ月ぶりで復活した。3年8ヶ月の間、軍の厳しい命令で天気予報は発表出来なかった。
2.  娯楽興行の再開許可が出た(主として映画と演劇)。
3.  戦争勃発以来の損害、死傷者68万人(全焼失家屋221万戸)と改めて発表があった。
4.  陸海軍の復員が開始された(8/15以降)。
5.  東久邇首相が「全国民総懺悔(ざんげ)」を言明した。懺悔(過去の罪を悔い改める)
6.  連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木に進駐して参りました。
7.  米軍の進駐に伴い横浜方面の人心がにわかに動揺し(横須賀と云う軍港があるところからか?)婦女子がしきりに郊外へ疎開しはじめた。

と、こんな情勢が終戦の月8月でありました。

9/1 第88回臨時帝国議会(敗戦処理の国会)召集さる。第1回は明治23年11/25 88回までこの間56年間 57年目に敗戦の議会を迎えるとは、誰が予測したでありましょうか。
その後
これから四回目の帝国議会昭和22年3/31第92回帝国議会で日本帝国は終った。正しくは立法府としての歴史的使命を終えた。
そして新憲法に基く新しい衆議院と貴族院が参議院に代った二議院制が新たに始まった。

9/2 東京湾上の米戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた。
日本を代表して
重光葵(マモル)(外務大臣)
– S7年上海事変時、中国公使として赴任、右足、爆弾で喪失
梅津美治郎(ヨシジロウ)大将
– 日華事変勃発当時の支那派遣軍司令官・大分県出身

陸相阿南惟幾(コレチカ)8/15終戦の日割腹自決

此の日の調印と同時に大日本帝国は崩壊したのであります。
幾多先人の血の出るような苦心惨憺の末取得した(満州)(台湾)(樺太)などの権益を全部失い、日本陸海軍が解体され、軍需産業も解消になり、東条大将他最初の戦犯容疑指名者39名が逮捕され、以上マッカーサー司令部より矢つぎ早に日本の(非軍事化)(民主化)の指令が出された。かてて加えて此の年S20年は米作平年作の6割と云う大変な不作で、復員引揚者による人口の増加があり、一人僅か2合1勺(300g)、代用食〜遅配、欠配、一般国民の戦中からの永い耐乏生活がまだまだ続きます。大衆は終戦の混乱と物資欠乏の中で、窮乏のどん底生活で、精一ぱいの努力を強いられました。此の時代を生き抜いた人々は、決してこの事を忘れてはおりません。忘れられません。

9/4 神奈川県では米軍の進駐により県下全女学校に休校の指令が出た。

9/5 東久邇首相は(万邦共栄)(文化日本の再建)新規一変、改めて日本の文化を建て直そうとの施政方針演説をされた。

9/7 文部省は学徒動員令を撤廃致しました。廃止となった大東亜省、軍需省、農商省に代った商工省より生活必需品の配給制を引続き存続する旨の言明があった。

9/8 マッカーサー元帥、東京日比谷の第一生命ビルに進駐、米軍司令部を此処に置きました。

9/9 N・H・Kが歌謡曲と軽音楽を8/15以来初めて放送いたしました。

9/10 マッカーサー元帥(自由主義を助長奨励)去る9/5東久邇首相の施政方針に対して(不当な干渉は行わない)施政方針を発表した。

9/17 西日本に枕崎台風来襲、死者行方不明者2,400名
同日–重光外相辞任に伴い対米最適任者「吉田茂」氏後任
(吉田茂)S3年外務次官、英国大使、S14年退官、S20憲兵隊に検挙さる。

9/18 G・H・Qは朝日新聞に発行停止命令〜(左傾社説)

9/27 天皇陛下(昭和天皇)マッカーサーを訪問
以上に付いて過日(H15・10・17)読売新聞報導によると、S20・9・27行われた昭和天皇とマッカーサー元帥との第一回会見録が、初めて(外務省の都合でふせていた)外務省から公開された。

今日まで各省庁を始め国民等しく知っていたのは、マッカーサーの回想録にある通り、当日の天皇の発言として「私は戦争遂行に伴う如何なることにも全責任をとります」と明らかにされて来ました。これによってマッカーサーは天皇の言葉に感動して、爾後の占領政策を推進し、その下で憲法を作り、天皇を象徴天皇と格付けしたと歴史史実は教えて参りました。

ところが此の度(平成15年10月)外務省の公文書の公開によると、天皇の発言に「戦争責任の言及」は一切なかったと報道されました。恐らくその理由として考えられるのは、当時、中華民国とオーストラリアが天皇の責任追及を強く主張しておりましたので、故意に天皇のその部分の発言を削除した(事の重大さから)と考えられる。

若しそうであるならば「新憲法」で作った「象徴天皇」と云う制度を再検討しなくてはならなくなる。こんなことでは戦後日本の原点は何であったかと再検討されることになる重大問題であると社説が力説している。

×朝日新聞でない
○読売新聞らしからぬ

けれども

(再建日本統治の原則)=(天皇制の護持)基本であり柱である=(従来の通説)

で一応今日まで安定している。

しかるに今後どのように裁かれるか、いずれにしても戦後59年を経た今日としては古過ぎる話題として、日本の国にメリットは無いのではないでしょうか。

9/28 街頭に闇市氾濫、食糧品・軍需工場の放出物資に人々が群り始めた。闇市の特徴(闇市のはじまり、権利の無い土地を勝手に使用し始める。勿論電気は引けない、ローソクかカーバイト。警官も人の子 警官の取締りが緩い)お目こぼし

9/29 新聞各紙、天皇のマッカーサー訪問写真を掲載。これに対し情報局より不敬に当るとして発売禁止を指示した。(これがのちに大問題になった)

9/30 加賀(石川県)の七尾市(和倉温泉)で当時の戦勝国–中国人400人が七尾警察署を襲撃した。

10/4 GHQ、日本の「治安維持法」を廃棄せよと指示、次で在監中の政治犯を即時釈放せよ、また特高警察を廃止せよ、また「天皇制批判の自由」など、矢継ぎ早に指示発令して参りました。去る9/29政府は天皇のマッカーサー訪問写真は不敬と云う扱いをした。然るに本日マッカーサーの指示で「天皇制批判の自由」を発令した。この事は如何に政府の発令でも一般社会に馴染まない。信義に悖(モト)る(信実と違う)政府方針。
治安維持法 大正14年過激社会主義運動取締の為制定された。第一次京大事件・学生38名処分
第二次京大事件昭和8年鳩山文相滝川教授辞任要求

10/5 以上により東久邇内閣は総辞職するに至った。斯くして戦後処理を廻って僅か49日の短命内閣に終った。

10/7 別府航路(神戸〜別府)の室戸丸が兵庫沖で機雷に接触沈没、47名行方不明。まだ終戦(8/15)より日浅くして、米機が飛来敷設した機雷の処理がされていなかった戦後の不運の一コマ。

10/8 GHQは日本政府及び旧陸海軍保有の金・銀・プラチナの接収(強制的取上げ)を命令指示した。 供出(法定価格で差出す)

10/9 幣原喜重郎内閣成立
(1) 昭和初期の外交官として出発
(2) 三菱の岩崎弥太郎の女婿(娘婿)
(3) 親英米路線で平和外交を試みた最適任者、首相・衆議院議員在任中死去

10/10 共産党の徳田球一・志賀義雄等政治犯3,000名がGHQの指令により出獄した。
徳田球一 非転向獄中18年、共産党書記長、北京で死去
志賀義雄 同じく獄中18年、核実験停止賛成投票して党から除名

10/11 GHQ(男女同権)(労働組合の結成の奨励)(教育の自由主義化)(専制政治からの解放)(経済の民主化)以上五大改革いずれも民主主義の基本原則を日本政府に指示(命令)した。

10/17 国府軍(中共に敗れた蒋介石軍)が台湾に上陸した(逃れた)。

10/25 GHQが日本の在外大公使館の資産引渡しと外交機能の停止を指示した。

10/26 政府は食糧435万トンの輸入をGHQに陳情した。
                      (この場合願い要望した)

10/27 GHQの指令により三井・三菱・安田・住友の四大財閥の解体が決定した。

11/2 日本社会党結党 戦前は日清戦争後M33−戦前の無産政党諸派が合同して結党 書記長〜片山哲氏 和歌山出身、帝大卒・弁護士、のちにS22〜23に亘り首相
日本社会党の綱領発表(11/2)
1. 政治的–民主主義
2. 経済的–社会主義
3. 国際的–平和主義
天皇制–民主化された天皇制

11/3 新日本婦人同盟結成
公職追放解除後(S25年)会長〜市川房枝氏 愛知県出身、小学校教員〜名古屋新聞記者、婦人参政権運動等で平塚らいてう等と知り合う。S28年より参議院議員、当選5回、手前どもに来店されたことあり

11/9 日本自由党結成 総裁〜鳩山一郎
先代鳩山和夫(衆議院議員)M45年没の長男 鳩山和夫の葬儀は谷中霊園第一の盛儀(お茶屋三原屋言)
21年組閣直前公職追放、S29日本民主党結成首相、S30自民党結成、SS34年3月没、谷中墓前葬儀、五重之塔焼跡でテント村を作り、会葬者にコーヒーを飲ませた(浅草ひさご通りのコーヒー屋出張、アンジェラスでないーオレンジ通り)谷中霊園一の埋葬式・納骨(これもお茶屋三原屋言)

11/14 GHQが後楽園球場を接収 進駐軍専用グラウンド(オフ・リミット)

11/16 日本進歩党結成 総裁〜町田忠治 秋田の人、帝大卒、M45年衆議院当選10回、戦中小磯内閣時国務大臣経歴により公職追放。
後継石橋湛山、早大卒。東洋経済新報創刊、善性寺葬(湛山の息子92歳)

11/17 GHQ チャンバラ映画の上映禁止を発令

11/18 GHQ 民間航空を全面禁止、皇室財産16億を凍結の指示

11/19 GHQ 日本映画236本が軍国主義的として上映禁止指示
このように連日GHQの指示発令がありました。

11/21 全国人口調査により国民7,200万人と発表。7,200万は戦後の衰退時、昭和30年代は1億2000万、未だ程遠い

11/22 近衛文麿氏が天皇に憲法改正案を報告

※ GHQの指示(直接) 新憲法案(草案)執筆依頼 GHQの政策混乱
近衛氏 逮捕などあり得ないと自負
此の時点未だ逮捕令は出ていない
これより半月後戦犯容疑で逮捕令発令、木戸幸一氏らグループ9人
直後=服毒自殺 S20/12/16