6代目庄五郎トーク

第9回だんご寄席 谷中霊園の内 徳川宗家婦人墓地

平成13年11月7日

羽二重団子 六世 澤野庄五郎口演

徳川宗家(将軍家)の菩提寺は最初芝の増上寺(浄土宗)を初代家康が定めておりましたが、後日天海僧上(慈眼大師)の卓越した政治手腕によって、初代家康、二代秀忠、三代家光の帰依(仏の法に従った絶対的な信頼)を得て、新たに徳川家の菩提寺に加わってご朱印一万石を賜り、東叡山寛永寺を創建した。時に寛永2年であります。因みに最初に菩提寺にキ定まった芝増上寺は最后まで上野の半分の五千石で終っております。如何に天海僧上は実力者であったかわかります。そこで代々の将軍の墓を増上寺にするか、寛永寺にするかは
1. 生前の将軍の遺命(一般で云う遺言)
2. 幕閣の会議(大老・老中の相談)
3. 政治的配慮(例えば六代家宣の如く、四代家綱、五代綱吉と続いて寛永寺に入った。こんなことをしていると坊主どもはウルサイぞ、又檀家及び一般市民もウルサクなるぞ。従って儂は増上寺にするぞ。又吾が子「七代家継」も均衡上、引続き増上寺にせよと遺命した。)

尚、ご家族ご一統となると、寛永寺・増上寺に限らず、両寺の他に小石川の「伝通院」にお入りの方も結構あります。

例えば
1. 初代家康のご生母「お大の方」
2. 二代秀忠の姫「千姫」
3. 三代家光のご正室「孝子」
その他各代子女10数名であります。

以上のように、小石川の伝通院には一部の子女の墓と云う特色があります。

ご承知のように15人の将軍様は夫々
◎ 芝増上寺に②秀忠⑥家宣⑦家継⑨家重⑫家慶⑭家茂 の6人
◎ 上野寛永寺に④家綱⑤綱吉⑧吉宗⑩家治⑪家斉⑬家定 の6人
◎ 日光東照宮に①家康③家光 この別格の2人
◎ これ又別格として谷中墓地へ ⑮慶喜
締めて15人夫々埋葬されています。
以上に対しまして、本日は極く私どもの近くの徳川家菩提寺寛永寺墓地に眠る徳川宗家婦人達の霊域のご案内をいたします。

ご承知のように封建時代は男尊女卑の風習が厳格にございましたので、男性の将軍は増上寺も寛永寺も夫々霊域を一つにしておりますが、こことは全く別の所に、婦人達つまりご正室もご継室もご側室も夫々同じ霊域に埋葬されている。上野寛永寺の場合は、敢てここに「婦人墓地」と云わせて頂きます。

尚、ご正室、ご継室は京都よりご下向の皇室(又はそのご姻戚)か公卿のお姫さまであることが多いのでありますが、一方側室の方は現地調達でございまして、身分は主として江戸のピンからキリ?で、たまに京都からのご正室又はご継室について来る侍女であったこともございます。此の席で以前、私ども前の善性寺松平家墓地の改葬(S31)の模様をお話したことがありましたが、それから二年程たったS33年、今度は芝の増上寺で戦災で焼けた増上寺復興と、戦後荒らされた各霊廟の改修の為に、東京プリンスと東京タワーの敷地を売却したことがありました。此の時墓地の改葬に立合って検分した東大の鈴木教授の話しでは善性寺と違って(全遺体)骨ばかりでありましたが、その骨格の測定でご正室、側室を問わず江戸八百八町にもめったにお目にかかれぬ絶世の美人達であったと云っております。それは専門家でありますから骨から測定して徳川の婦人達は例外なく「うりざね顔」、つまり瓜の種のような細長い縦長の顔で、鼻の高い現代風の顔立ちをしていたと申します。

本日茲に取り上げましたのは、谷中霊園の中で最大の墓域であります敷地、2,000坪に及ぶ石囲(石塀)の中の寛永寺婦人墓地であります。

以前、寛永寺の執事長の浦井さんに伺いました処、徳川ご本家の墓地管理料は年間70万円とかで出費が多いと翻(こぼ)しておられました。

※それではお手許にお配りした「徳川ご本家の婦人墓地」の概要図でご案内いたします。図の上の方は云うまでもなく北であり、用紙の更に上には鉄道線路群(山の手・東北・上信越・常磐等)でありまして、左のはじに線路の上を渡る芋坂跨線橋がございます。

1. 上の方(秋元家)とありますのは元「館林城主」「秋元ヒロトモ礼朝」6万石の(元子爵)の墓であります。

2. 右へ参りまして(佐藤家)とありますのは、お茶の水駅前「順天堂病院」の創始者「佐藤尚中」の墓であります。毎年順天堂からご命日のお詣りがあります。

3. ヤソ耶蘇墓地はこの辺りから崖下へ降りる鉄道線路寄りの一帯のキリスト教信者の墓地群を指します。

4. 次に紙面左の端をご覧下さい。真四角な囲みの中に(長昌院殿)とございますのは、初め私共の前の善性寺に埋葬されていた6代将軍家宣公の実母で俗名「お保良の方」3代家光の次男徳川綱重の側室で、一説に根津の魚屋の娘とか、法名「長昌院殿従三位大岳善光大姉」で28歳で亡くなっております。

6代家宣は伯父の5代綱吉から48歳になって養子に迎えられ、突然中納言となり次期将軍となりました。長じて知った父の側室の実母に対する愛着としきたり上、早速近くの芋坂の上の菩提寺の寛永寺墓地に墓を移した(改葬)したのであります。そこで長昌院殿だけ別囲いで百坪余の敷地に新たな法名を付して、朝廷から従三位をとりました。

今ここに改葬供養の図「長昌院様御廟先番図大納言様オナリズ御成図」のコピー(296年前)があります。

尚、此の長昌院から始まって、右の方へ如れも真四角い囲みに何々院殿とある墓は、石垣積み髙台、玉垣造り宝塔型廟(おたまや)でありまして、石垣の高さ1M、間口・奥行共に8M四方の石垣の上に、3M四方の台座が乗り、此の台座から立長の胴石(胴体)が建ち、その上に笠を乗せた型、この型は将軍の墓にほぼ近く、

5. これ等はいずれもご正室の墓であります。長昌院殿の廟(おたまや)の真下1・2・3とあり、紙面右の方へ4・5、更に右へ6・7・8・9とありますのは、ご正室方の墓から見ればずーっと小さく、それでも高さ4Mもある石塔であります。
先ず1は6代将軍家宣の側室(右近の方) 法心院 当然院「殿」がない
2は同じく 蓮浄院
3は同じく 安祥院
1・2・3は、如れも改葬後、後年建てた側室群、中には没年80才の人あり。当時としては超長生き。

6. 1・2・3の墓の下「清水徳川家」とあるは9代家重の次男で「重好家」で、江戸城清水ご門内に邸をこさえ分家したご三卿の一人であります。
右へ「田安徳川家」とあるは8代吉宗の次男宗武で、同じく江戸城田安門内に邸をこさえて分家したご三卿の一人であります。
今一人「一ツ橋徳川家」の墓は15代慶喜公の墓の隣り、墓域が離れ過ぎ、この紙面には記入していない、現在九段の武道館へ入る御門の内へ邸をこさえたので、一橋様と云った。ご承知の通りであります。

7. 次に4・5の上の大きな墓「浄観院殿」12代家慶のご正室であります。家慶は老中水野忠邦と天保の改革を行った11代家斉の次男であります。この家慶のご正室の俗名は樂宮(さざのみや)喬子(たかこ)、(「喬」は驕慢おごり高ぶる、天保11年46才で没)有栖川宮幟仁(たかひと)親王の姫、法名–(従一位)浄観院殿慈門妙信大姉。この方のご主人の12代家慶が亡くなったのはこれよりずーっと先で、ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来た頃です。将軍家慶は死の床にありました。頃は嘉永6年であります。
近世史は此の時点から始まって、鎖国が解かれ、開港に向い、維新の改革が出来たと云い、幕府の瓦解が始まったと云うのであります。
吾が荒川区内では(宮地)在植木屋伊藤七郎兵衛が幕府の命によってお台場築造にかかった頃であります。

8. 次に「髙巌院殿」4代家綱のご正室。伏見宮貞清親王の姫 浅宮顕子(あきこ)38才没 ヤヤ早死。法名–髙巌院殿従一位月潤円大姉 または清大姉

9. 貞明院殿 12代家慶の第6女暉(てる)姫 正室でも実母でもないのに何故か大きい墓。 15才没 疱瘡(天然痘) 早逝したので親が特に衷んで丁重に葬った特例(異例)と思われる。

10. 證明院殿 9代家重のご正室 伏見宮邦永親王の姫、比宮(なみのみや)増子姫。享保16年21才でお輿入、2年後23才で病没。当時京都では江戸は蛮地と云い、弱い京都のお姫様には江戸の水は合わぬと云い、20才前後で没する人多しと云われます。

11. 宝樹院殿 4代家綱のご生母 一番鶯谷駅寄りの墓。3代家光の側室 お楽の方–春日局が浅草寺参詣の砌見出した古河の百姓の娘。S60年映画上演「花のこころ」大原麗子主演(お楽の方)。映画では側室の掟を破って逃走、悲運の死を遂げた。

12. 紙面ヤヤ真中の大きい廟(澄心院殿)生来病弱、13代家定の継室 ① 後妻 関白一条忠良の娘・秀子(寿明姫)嘉永2年輿入、翌年25才で没。その後の継室 薩摩藩島津忠剛(ただかね)の姫 敬子(すみこ)二度目の②継室 葬地寛永寺ナレド別の霊域。
正室(別所) 因みに13代家定のご正室は天親院殿任子(ただこ)−有君(ありぎみ)
8才の時京都より下向、18才にてお輿入、8年後26才で没。芝増上寺に葬る。これ又、特異な生涯でありました。 

13. 最後の廟 心観院殿 10代家治のご正室 五十宮(いそのみや)倫子(ともこ)
閑院宮道仁(みちひと)親王姫 明和8年35才没(心観院殿従二位浄池蓮生大姉)

14.中型の墓
4 本寿院殿 13代家定のご生母 幕臣跡部氏の娘12代家慶の側室・お美津の方
5 実成院殿 14代家茂のご生母 幕臣松平氏の娘13代家定の側室・おみきの方

15. 
6 お由利の方 (8代吉宗のご生母・紀州光貞(みつさだ)の側室 浄円院殿
7 お知保の方 (10代家治の側室・蓮光院殿)
8 お楽の方 (12代家慶のご生母・杏林院殿)
9 お幸の方 (9代家重の側室・10代家治のご生母 至心院殿)
大典侍(おおすけ)の局(5代側室)
大品(おしな)の方(10代側室〜ご正室倫子(ともこ)付きの上臈として下向)
お袖の方 (その他子女45霊合祀)

◎ 以上の他は「芝増上寺」「小石川伝通院」他山の手数ヶ寺に分轄されておられます。
以上 終