6代目庄五郎トーク

第13回だんご寄席 訪中にみる中国の繁栄

平成15年2月26日(水曜日)

私はかねがね中国の蘇州寒山寺に心を寄せておりました。それは昭和12年7月、北支蘆溝橋に戦火が挙って程なく、今度は中支に飛火して上海の西南杭州湾に「皇軍百万敵前上陸」と大きなアドバルーンを上げて、一路蘇州を経て、南京を目指すと云う緒戦に、私の叔父が参戦しておりまして。翌々年、彼の有名な碑石の拓本を土産に凱旋したことに端を発するのであります。

(1) 当店二階床の間の掛軸 コレ64年前昭和14年の支那のお土産
(2) 皆様のお手許にお渡しのコピー

皆さんもご承知かとも思いますが、此の寒山寺の七言絶句の漢詩「月落ち鳥鳴きて霜天に満つ」の掛軸は、現在テレビのチャンネルを何処を廻しても、髷ものの背景に日本間の床の間が見えれば。その掛軸は殆んどみな此の寒山寺ものであります。そこで、そんな有名な寒山寺をどうしても見たい行き度いと念願した次第であります。

折柄、丁度昨年の暮、友人小川氏が中国、江南方面の旅行を企画なさったので、この催しに参加いたしました。

昔は淅江省の上海と記憶しておりましたが、只今では大きな中国を8区画して「華東区」の江南方面、つまり上海、蘇州(スーチョウ)、無錫(ウーシー)の行程でありました。気候は北緯30度少々で、東京とほぼ似たり寄ったりでありました。私は元々戦前の教育を受けておりましたので、所詮は「チャンコロ」、中国になっても同じさと舐めてかかっておりました。

とは云っても、三千年の歴史をもち、世界一の人口、10億とも15億とも数える人口で、ロシア、カナダに次ぐ世界第三位の領土を持つ偉大な国ぐらいの認識は持っておりました。また日頃、根岸の書道博物館で見るように、日本文化の象徴である独特な日本文字は決してハングルでは無く、中国の漢文化の流れであり、日本のご先祖様達の故郷は中国だと、私の心は中国に寄宿するところ大でありました。斯様な両面の思惑を基に中国本土を初めて踏んだのは、去る12月3日、夕刻迫る上海虹橋(ホンキュウ)国際空港でありました。遅ればせ乍ら今頃になって訪中した私の中国の印象を簡単に表わしますと、

1、 上海の市街地はさすが中国最大の商工業都市で、東京都を凌ぐ1,500万人の中央直轄の特別市で、ビルの林立する高層化のスケールに於いて、東洋一を認めざるを得ません。

2、 上海西部の古都、蘇州への高速路の車窓に見る限り、郊村農家の生態(生活の状態)は、日本のそれとの比較で相当の差があると感じました。つまり日本のほうが数段上だと云うこと

3、 寒山寺や虎丘等を見て廻った観光の印象では、日本の仏教が芽生えた地、興福寺、薬師寺、東大寺、唐招提寺と比べて、特に唐招提寺は奈良へ命がけで来られた鑑真和上の故郷であり、日本文字の教祖を偲ぶ期待とは余りに差があり、公園化して俗化が激しく、日本の宗教の持つ戒律感、超人的世界、崇敬感、神秘感において著しく裏切られた感じがいたしました。これは中国が社会主義化して、共産党一党支配で治められた影響かと存じます。

4、 上海市街地で日本の出店「伊勢丹」を訪ねると、香港と違って日本の観光客扱いは零だった。三越はホテルオークラの地下だと聞いたので止めて、いっそのことスーパーを見ようと入ると、私どもがかつて日本で、ダイソーの百円ショップで最初驚いたものでしたが、あちらでは30円レベルの物が当たり前に売られておりました。ただ制服、私服の警備員がやたらに多く、これはただに万引きが多く、その取締りの為ばかりでなく、社会機構(官憲による)が未だ厳しく総べての行動が監視されている感じ、一般の観光客も窺われている感じで、陰湿な嫌な印象でした。

5、 そう云えば以前、日本医大の秋元院長さんや女子医大の浜野専務理事さんに聞いた限りでも、上海の学界の催し、北京の学界へ行っても、僅か10数人の先生方でも、必ず先さまの監視が附くとのこと、官僚国家の陰険さを感じざるを得ません。

※さて、この度の旅行は要所々々を余すなく、私も専ら中国の食文化やらを楽しんでおりましたので、資料集め、記録など一切しないで帰って参りました。ところが実は本年1月1日元日の新聞を見て愕然としました。

前日の12月31日中国上海でリニア鉄道の実験線の開通式が行われ、ドイツの技術を売り込んだシュレーダー首相と同乗した中国の朱鎔基首相の報道記事の中で、遂に中国のリニアモーターカー成功「世界鉄道史上の大事件」と自ら申しておりました。此の記事皆様ご覧になったと存じますが、如何お感じでしたか。

私は実は昨年の4月17日、昭和28年発会以来50年に亘ってお世話をしている「あすなろ会」で、日本のリニアの最高峰山梨のリニアモーターカー実験線に乗せてもらいたいと願い出て三年目、ようやく50名の会員中15名が試乗出来ました。その折、日本では当分(10年位)営業化は出来ないとのことでありました。それ丈に大ショックであります。特に近年の中国は日本の商工業に追いつけ追い越せの国是(国の政策)を聞いておりますので、恐怖さえ覚える程であります。そこで只、わからない国(中国)では済まされないので中国の此処までやって来た経緯に、今更に関心を持ちました。

尚、此処で今日の日本リニア鉄道の実態をご紹介いたしますと、国立のある「鉄道技術研究所」の河田所長、本郷に事務所のある岡田元総裁(現日本鉄道海外輸出部門顧問)ご両所とも現在の日本の鉄道を代表する方々で、日本は独逸、仏国と竝んで世界の鉄道先進国であります。

中国のリニア計画は初め上海〜北京でありましたが、非常に建設費が掛るので(新幹線の3倍)上海〜北京間は新幹線にし、上海〜南京間をリニアに変更したとの情報を得ました。ともかく、此の度、リニアの第一戦は独逸に敗れましたが、小泉首相も独逸のように新幹線・リニア売り込みに走らなければ、今後の日本産業全般の不信に繋がる畏れがあります。
※それでは全く分らなくなった中国本来の姿、特に此処一世紀に亘る中国の経緯を学習して見たいと思います。

先ず中国生成の基盤から申し上げますと、漢民族は古くから自己中心の思想を持っておりました。特に農耕文化は、ほかの民族に優越した意識があります。その上、中世以降は生活文化の中に天子(皇帝)を頂点とする階級的な、天下支配体制が長い間続き、これらが総べて礼儀と云う秩序に纏められておりました。そして、これを人間の道と称して、夷狄(野蛮人)は礼と云う人の道をはずれた禽獣に等しいと云う見方をしておりました。以上の如く中国は歴代の思想の中心を政治・道徳の学問、つまり儒学に置いておりましたので、印度からの仏教に対してさえ、独自の儒教を興し、日本は中国経由の仏教でも、中国直接の儒教でも丸飲みでありますのに、中国は当初から自国の誇りを持っておりました。

しかし中国も近世では阿片戦争以来、諸外国の侵略に破れて、遂に長かった帝政時代が終って、変った中国社会は国内の団結を図るべく、各所に共和国運動が興り、これに乗っていち早く「中国同盟会」を創立したのは、彼の「孫文」
であります。明治40年〜45年

孫文に続いて蒋介石が国民党一党支配の国民政府の主席となり(昭和3年)のち、中華民国の総統となりました。その蒋介石が毛沢東の統帥する「中共」に破れ、台湾に逃れた(昭和25年)のはご承知の通りであります。

一方、中国共産党は戦中は、八路軍と称し、国府軍が都市部で次々戦っていたのに対し、各都市の郊村地帯で非常に広範囲で根強く拠点を置いて戦ったので、日本軍は重慶の手前の武漢三鎮まで陥落させ乍ら、実際は都市部だけで、その周辺囲廻り(ぐるり)を含んでの共産勢力は全土に及んでおりました。中国は領土の9割は侵されていないと云う訳であります。

斯くして中共軍は「抗日民族統一戦線」に成功して、大正14年既に中共を代表していた「毛沢東」がその後八年に及ぶ抗日戦争に勝利して(昭20)続いて蒋介石との内戦にも打勝って、中国全土を統合し、掌握したのであります(昭24)。

蒋介石との内戦に勝利を収めた中共の代表毛沢東は昭和24年9月、10日間に亘って14を数える政治単位代表を集めました。

各地方の代表、解放軍の代表、大衆の代表、600余名を北京天安門広場に集結させて「中国人民政治協商会議」を開きました。ここで毛沢東が主席に選ばれ、副主席6名と政府委員56名が決まり「中華人民共和国中央人民政府」が出来たのであります。

斯くして毛沢東によって新民主主義の理論が伸張、拡充、策定され、社会主義の全盛時代ともなりましたが、途中始まった彼の「文化大革命」(昭40)は第一期教育、第二期学制、第三期人民公社、第四期半学半労、第五期紅衛兵と、如れも古い制度を新しい社会主義経済制度へ、農民手工業をによる個人経済を国営経済へ、協同組合等人民公社を国営経済へと、何のことはない、この様に毛沢東の学習に過ぎない文化大革命でありましたが、これを中共はプロレタリア文化大革命の偉大な大勝利と位置付けております。

確かに中国民衆生活は非常に平均化しておりまして、上下の身分制度がなく、職業の貴賎意識もないと云われます。給与は日本の県会議員クラスで月70元前後(1元=15円)従って¥10,500、これは普通労働者の平均賃金に等しく、軍隊の師団長でも同じ70元、給与の良いのは大学教授で300元(¥45,000)だと申します。

食生活では西洋料理、日本料理の類は民衆の生活にはめったに入らない。但し華北の民衆も近頃では殆んど米を食べるようになったようであります。住民は焼いた煉瓦、焼かない煉瓦で建てた家が多いようです。そう云えば上海から蘇州間の車窓の両側の農家について先程も申しましたが、同乗のエージェントが盛んに「近頃は此の附近二階家になった家が多い」と力説しておりましたが、正にその通りでも、二階と云ってもオカグラ程度、ベランダも全く見えないウラブレた二階家、住居の囲廻り、敷地が閑散として日本農家のようなトラクターなど、耕作機械が見えず、併設の倉庫の類も無く、接続する農道も日本のように整備されていないのが実体であります。

ところが都市部上海に住む人々の衣服は、日本のそれと殆んど同じで、都市と農村の格差がハッキリしております。

ところでご承知のように、1990年世界の歴史はソ連経済の崩壊を契機に大変転いたしました。米ソの冷戦が無くなりました。その影響は中国に於ても「新中華主義」を唱える一部政府要人の交代改革があって、今日の「新生中国」の繁栄に継がったのであります。特に科学技術については昭和30年当時は先進国の昭和初期程度と云われましたが、10年たった昭和40年には世界の一流に近い水準に達しました。核爆発の実験が昭和39〜40〜41とありました。更に人工衛星も飛びました。従って斯様に順序を追って考えますと、先に私が驚かされた本年1月1日のリニアモーターカーが世界に先駆けての発車があった事は決して偶然ではなく、新生中国の底力と認知出来るのであります。これに対して吾が国は戦後大きな発展を遂げ、決して隣国諸国に優るとも劣らぬ大国となりましたが、戦後の占領政策に惑わされて、過剰な民主主義をいつ?も実施した為に、日本本来の社会制度に欠陥を残し、吾が国の誇りさえ失いつつある今日であります。此の侭で推移するならば大変な事態が来ると、隣国中国の繁栄を手放しで喜べないのではないでしょうか。

私は中国の繁栄と日本の繁栄を相対的に見た時、中国の厚く日本に薄いものは、民族・文化・伝統に対する認識であり、特に「常に偉大な国家であり続けたいという誇り」について大きな違いを感じます。つまり中国は国家意識に強く、日本は個人の繁栄意識が強いからであります。

※ 最近の新聞紙上で期せずして(偶然に)共通する考えを述べていた日米の外交官の言に注目いたしました。それは終戦直後、マ司令部が天皇制継続の為、極めて無理な占領政策を強制し、極端な平和主義を柱とした新憲法を作らんと意図して、たった一週間の急ごしらえで作った憲法を押しつけたことに由来すると夫々が云うのです。また日本政府もマ司令部におもねる為に、占領軍が治安を心配して、そこ?やるのはお止めなさいと云うのを無視し、押し切って原論と結社の完全自由を認め、超進歩的と称する教育制度、労働組合法、農地開放などを占領軍の指示を待たずに実施した。

つまり日本に於ける民主主義は日本の歴史と伝統を無視したものだったと日米双方の外交官は云っております。

尚、つい此の間、1月末の日曜朝の「報道2001」の番組で竹村健一先生が云うには、新刊書「中国大活用」堺屋太一著を是非読まれたい。大変ユニークな本で、今?日本は米国に次いで世界第二位と云っていたが、今や中国が米国に次いで世界第二位と、日本は第二位と云う内容で、現在の中国のやっている施政方針は嘗ての中国明時代の明帝国の施政そのものだと歴史的考察をしている特異本だと申しておりました。その上竹村さんのいつものおはこ

賢者は歴史で学ぶ
愚者は経験で学ぶ  と結びました。

尚、堺屋さんの指摘した「明の時代」を余りにも長い中国史の中から簡単に分りやすく表現すると

(西 暦)(中国)(我 国)
5931400年前隋の国33代推古天皇(世界史では初代)
618唐の国聖徳太子

1271元の国鎌倉時代 北条時宗・日蓮上人登場

1368635年前明の国南北朝時代 足利尊氏

1616清の国江戸時代 徳川家康死去

1662334年前明の国終焉四代徳川家綱
明帝国300年

191192年前清の国終焉明治45年 天保年間とも

191291年前中華民国大正元年
歴史上建国

194954年前中華人民戦後 昭和24年 今日に及ぶ
共和国

番外
(1) 日本のリニアモーターカーの将来–朗報
(2) 日本の将来を青少年に聞きました–悲報

付録 最初の挨拶 当日の服装について
皆さん、いらっしゃいませ。毎度「だんご寄席」にご愛顧賜りまして有難う存じます。
異様な恰好で出て参りましたが、昨年「小泉さん」がシンガポールの首脳会議で各国首脳全員と此の服で勢揃いいたしました。又 チャンバラものの「高橋シデキ」さんがテレビに3回程此の服を着て出たそうで、今日は私も中国のことを申し上げる為、茶目っ気で同乗した次第でございます。