6代目庄五郎トーク
第23回だんご寄席 昭和二十二年の報導記事を追って(其の二)
平成18年6月28日
終戦2年目 思い出(憶い出)の記事 S22.10〜11〜12
10/1 帝国大学の名称が廃止された(改称になった)
旧東京帝国大学 東京大学(東大)九州大学(九大)北海道大学(北大)
10/7 財界と報導関係者991人の公職追放(パージ)がG・H・Qより
発表された。
それ以前
前年(S21年4/30)鳩山一郎追放(パージ) パージ991+1
前々年 S20年
S20年
S20年 9/11
12/1
12/6 東條等
梨本宮等
近衛文麿等 39人逮捕
59人逮捕
9人逮捕
計 107名 戦犯
戦争責任関係者 1099名
宮田さん? 在郷軍人会
10/10 東京裁判廷の米国代表キーナン検事は「天皇と実業家に戦争責任なし」と言明があった。(外部に対してはっきり宣言した。広く世の中に云いわたした)
国体と天皇との絶対性、治安維持の関係上
資本主義の総本山アメリカなればの発言 −占領軍基本方針–
但し日本国の将来について考えて呉れないー当然 日本の良風美俗、教育も合せ、断絶ココにありでありました。(切り捨てられた)
10/11 山口良忠判事が配給食糧のみの生活を厳格に守り、遂に栄養失調で死亡した。当時社会問題化した。
(お気の毒)(バカだなあ)真面目も程度の声あり
10/14 皇族 直(ジキ)宮家(ご三家)を除く11宮家の皇籍離脱が決定した。
大正天皇の子 皇太子 裕仁親王→ 昭和天皇
秩父宮 妃殿下 松平勢津子 会津出身
高松宮 妃殿下 徳川喜久子 慶喜の孫
三笠宮 妃殿下 高木子爵家 S20.7.9 自殺
以上三宮家存続
(閑院)(伏見)(山階(ヤマシナ))(賀陽(カヤ))(久邇)(梨本)
(朝香)(東久邇)(北白川)(竹田)(東伏見)
以上十一宮家皇籍離脱
夫々へ4747万5000円が一時金として支給された。現在価 数億か?
物価10倍として、それ以上?
(有名番組となった)
11/1 N・H・K「二十の扉」の放送開始(勿論ラヂオ)
11/4 片山首相が農相平野力三(岐阜県出身、早大卒、農民運動家、S3年日本大衆党書記長・翌年除名さる。S11年衆議院議員・当選7回・社会党右翼)非協力を理由に閣僚罷免権を発動した(除名・止めてもらう)
11/12 日本野球リーグ戦で阪神が優勝した。(前年S21の優勝は近畿日本グレートリング、のちの南海・現ソフトバンク・ホークス)
11/13 当時ハリウッド俳優の人気投票で1位 イングリッド・バーグマン、2位 ビング・クロスビー 先年90歳死去
11/20 英国のエリザベス女王結婚式挙行さる。ジョージ6世の長女。翌年S23戴冠式。
十年前S11年ジョージ6世戴冠式昭和天皇御名代秩父宮ご出席。肺病S28年没。三笠宮終戦時南京派遣軍少佐。エリザベス女王戴冠式敗戦国(講和条約前)誰も行っていない。皇太子–13歳
12/1 酒販店の酒類が専売から自由販売となる。
(失業手当法)・(失業保険法)施行された。
12/12 兵庫県の青年刑事が一年間に強盗・窃盗など399件を解決し、検挙最高記録を達成し表彰された。
この時代、未だ不惜身命(身を捨てて世の中に尽くす公僕精神健在)明治維新の志士の如く。まだ此の時代僅かばかり前時代の精神教育が残っていた。但し(家庭)
12/17 新警察法公布(バックボーン民主化・分権制) 現今検挙率最低
人権 微弱な統制制
12/22 改正民法が公布された。主たるものの凡例の第一は(家制度の廃止)
旧憲法による家の解釈は先祖以来代々継承による戸主と家族とからなり、戸主は家族を統率し、戸主の地位と財産は長男単独相続と云う家督相続制によって伝えられたが、新憲法によって旧来の「家」は廃止され、戸籍は原則として(夫婦とその子で)編制されることになった。皆様ご承知の通り
12/30 100万円宝くじの当選者の一人は、札幌在住の70歳のお爺さん(当時の高齢者で評判)。東京の当選者の一人はとうとう勧銀へ現れなかったと云う伝説がある。
昭和22年代表的な想い出の特徴を挙げると
1.いかり肩の上衣にショートスカートの流行
2.性病が全国的に蔓延。40万人の罹病者を数えた。
原因 イ 復員による外地からの持込
ロ 進駐軍による影響
ハ 荒廃社会の不衛生
ニ 荒廃社会の青少年の無知(知識がない)
3.斜陽族(第二次大戦後の没落した上流階級)
太宰治の小説「斜陽」から流行語となった
映画「安城家の舞踏会」(吉村公三郎監督・新藤兼人脚本)も斜陽族の映画
4.宰相吉田茂の人柄挙動から「ワンマン」、また発言から「不逞の輩(やから)」の流行語が生まれた。
5.戦前の学校の「保護者会」が「P・T・A」と代り一般語となった。
6.流行歌「星の流れに」「夜のプラットフォーム」「港の見える丘」
7.映画「荒野の決闘」「心の旅路」「安城家の舞踏会」以上の配役等全部覚えていたが、ここ数年で悉く忘れた。
昭和23年の報導記事を追って(其の一)
S23年1月〜2月〜3月
1/1 初めて二重橋が国民に開放された。嘗ては権力者のみが参加を許された参賀に大衆も加わることが出来る「一般参賀」が行われ、2日間で13万人を数えた。
前々年(S21)1/1天皇人間宣言(詔勅があった)
前年(S22)1/1吉田首相の年頭の辞が放送された
1/2 前の年7/28結成された民芸(滝沢修、森雅之、宇野重吉らの民衆芸術劇場)の第一回公演として島崎藤村の「破戒」が有楽座で初公演された。藤村は小諸の教師として出発。苦闘の末上京して小説を志した。小説「破戒」は田舎の封建的因習に苦しむ部落民の青年の苦悩を描いた長篇もので、みごとこれがデビュー作となった。頃は日露戦争勃発前後、上京はしたが妻は病に伏し、3人の子は次々と死んでゆく。そういう悲惨のなかに小説「破戒」は自費出版された。ところが藤村はこれで一般大衆の同情と好感を呼び、此の一篇によって確実に作家として世に立つことが出来た。
1/3 終戦3年目のお正月、銀座の街頭には露店が竝び、2M足らずの道幅は人であふれ、キャバレーからジャズが流れ、暗かった戦中の反動が表われました。我が国では古く大正の末、カフェー・バー・ダンスホールが出来て大正ロマンを求めました。そして私どもの知っている戦後は天井まで吹抜けのホールで、ホールの正面か中央にステージがあって、バンドを置くと云うスタイルでありました。当時の行きつけは「オアシス・オブ・ギンザ」「フロリダ」「美松」「ラテン・コーター」「パラマウント」
キャバレーとナイトクラブの違い
キャバレー(ダンサーを常置)ナイトクラブ(客が同伴して飲食)
此のあすなろ会でも鶯谷の「スター東京」で宇田川さんが3回、社会党から自民党へ移った遠田先生が2回当番長として例会を開いて呉れました。が、お二人とも今は亡く、憶い出となりました。2〜3年前まであったスタ東も遂に閉店解体。東京で一番古くまであった 確かダンサーが山田さんちのアパートに居る60何歳かの人がおりました。